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美術・文化社会批評/アライ=ヒロユキのブログ


アライ=ヒロユキの美術・文化社会批評などの日々の活動を伝えます。
by PXP14154
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表現の不自由展・東京展のコンセプト文2

表現の不自由展・東京展のコンセプト文2

2021年6月25日から7月4日に神楽坂セッションハウスで開催予定だったものの中止となった、表現の不自由展・東京展の展示コンセプト文です。
全体コンセプトを除き、ふたつの展示コーナーをそれぞれ公開します。次に「ART + 芸術と政治の狭間」です。展示プランも以下に記します。

【ART+ 芸術と政治の狭間】
「参加作家と作品」
赤瀬川原平《大日本零円札》、豊田直巳《叫びと囁き フクシマ:記録と記憶》、前山忠《反戦》、山下菊二《帆掛会議》、若林奮《緑の森の一角獣座(アーカイヴ資料展示)》


ART+ 芸術と政治の狭間

わたしたちは名指されて存在している者であり、何者かであるためには〈他者〉からの名指しに依存しなければならないという意味で、言語に被傷性をもっていることが明らかとなる。
……この意味で「中傷」は、まさに呼びかけという行為によってなされるものであり……
ジュディス・バトラー

性的同一性に対する呼びかけや定義における被傷性から、その限定を回避するセクシュアリティのあり方を提起するため、LGBTQ+(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・クィア・ほか多様性)の呼称に多様で多義的な意味を持たせる「+」が用いられています。本展示コーナーではそれを援用し、「ART+」と銘打ちました。

表現の不自由展は、女性やマイノリティに対する差別に関わる美術表現が多いですが、そうした存在も日本社会では被傷性を持ち、また日々傷つけられてもいます。美術表現という「文化制度」もまた、ときに対象を自らの文脈に強引に回収し、消費により暴力性を発揮することがあります。
一方で、美術表現は自らを定義する桎梏から逃れ、自由な「生」の輝きで人々を照らす存在になることがあります。表現の不自由展は、そうした多様で多義的な文化運動の要素を持っています。これを補助線にして、より広い視点から「定義」の絶えざる書き換えの歴史である美術史を俯瞰してみましょう。

ここでは視点を絞って、美術表現でありながらなんらかの裁判(社会)闘争に関わった作家でかつ検閲と関連するものを取りあげます。その大半は美術史の中でファインアートとして評価の定着した物故作家になりますが、その政治性にスポットを当てることは、表現の不自由展が展開してきた可能性を別の側面から照射するものでもあるでしょう。

赤瀬川原平は、千円札裁判において、国家制度と資本主義システムを嘲弄しました。
豊田直巳は、ドキュメンタリー映像/写真という芸術と政治の両義的なメディアで、福島の問題を追い続けています。
前山忠は、1960年代から1970年代にかけて新潟現代美術家集団GUNで、当時の日本でもっとも政治的な美術運動を展開しました。
山下菊二は狭山裁判闘争に関わったことでも知られますが、〈天皇制シリーズ〉のなかで日本の闇を追及しました。
若林奮は、東京都のゴミ処理場建設予定地に作品を設置することで、自然と人類の遠さの亀裂を可視化しました。

ご覧になった方に、ART+の持つ可能性の広がりを感じていただければ幸いです。

コンセプト アライ=ヒロユキ
表現の不自由展・東京展 実行委員会

表現の不自由展・東京展のコンセプト文2_f0230237_21530122.jpg


by PXP14154 | 2021-07-10 14:29 | 活動紹介
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