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美術・文化社会批評/アライ=ヒロユキのブログ


アライ=ヒロユキの美術・文化社会批評などの日々の活動を伝えます。
by PXP14154
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台湾の表現の不自由展展(2020年)

2020年に台湾で開催された表現の不自由展のコンセプト文などの情報も公開します。すべて会場のMOCA TaipeiのHPにアップされた情報(和文も)ばかりですが、なかなか直接見るのも煩わしいでしょうから、ご参考までにまとめました。

表現の不自由展 A Long Trail for Liberation(解放への長い道程) MOCA Taipei(台北當代藝術館、台北市現代美術館) 2020年4月18日〜6月7日


出品作家と作品
安世鴻《重重ー中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち》、キム・ソギョン/キム・ウンソン《平和の少女像》《空いた椅子に刻まれた約束パフォーマンス》、嶋田美子《焼かれるべき絵》《日本人慰安婦像になってみる》《表現の不自由像になってみる》、白川昌生《群馬県朝鮮人強制連行追悼碑》、豊田直巳《叫びと囁き フクシマ:記録と記憶》、永幡幸司《福島サウンドスケープ》

[歴史資料(美術図版) 複製]
「小野篁」(『日本皇統実記』 画/小林幾英)、「広中の即智土蔵を砕く」「志士従容縛に就く」(『福島事件高等法院 公判傍聴筆記 附 河野広中君略伝』、画/歌川芳宗)、『前九年絵巻物』、「頓智研法発布式」(『頓智協会雑誌』第二十八号 画/安達吟光)


表現の不自由展:解放への長い道程
Non-Freedom of Expression Exhibition: Long trail for liberation

 人の作ったもの、特に芸術作品は「印」のようなものだ。それを結びつけ、たどることで、道ができ、物語がつむぎ出される。
 表現の不自由展の作品群がつむぐ物語は、検閲という圧制であり、それに抗する自由の灯だ。
 あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」は「展示中止」となった。海外のメディアや美術作家は検閲と批判したが、日本社会で検閲と批判したものは報道メディアも含め多くない。
 表現の不自由展は、主に日本の公共施設や公共空間で検閲などの圧迫を受けた芸術作品を集め、展示する企画だ。発端は、2012年、写真家・安世鴻による日本軍「慰安婦」を題材とした写真展を、世界的カメラメーカーのニコンが中止した事件に遡る。その支援を経て、日本の検閲事情の深刻さを憂慮した人々によって、検閲作品を集める「表現の不自由展」が2015年に開催された。それがあいちトリエンナーレ2019からの参加要請となり、「表現の不自由展・その後」として展示された。しかし8月1日の開幕から3日で強制中止となった。力強い支援と裁判所への仮処分申請を経て、会期末の6日間、限定的な再開を果たした。
 芸術への検閲のニュースは世界中から届く。グローバリゼーションのきしみがもたらすものだが、人権意識と啓蒙思想の浸透は芸術家に抵抗の表現を促しもする。日本の検閲は多くが、日本帝国の戦争と植民地支配の議論や問題提起に関わる。近年台頭著しい歴史修正主義と排外主義・性差別が温床だ。
 これは日本社会だけでなく、台湾を含む東アジア全体のポストコロニアルな政治状況に関わる。同時に日本近代が抱える根本的な問題、さらに古くは大和朝廷に遠因がある。
 本展では、戦争責任と植民地支配問題、天皇制、福島の原発事故の3つを切り口とする。それらは日本の歴史のなかで密接に結びついている。この歴史を、本展を見る人が散策する「trail」として構成した。
 歩く道を意味する「trail」は、道なき道を切り開いた多くの足跡のつらなりからできたものだ。多くの文化圏に似た概念があるが、アメリカ(米国)では開拓移民が開いた道程にこの語が用いられた。現在では、環境、歴史や人権教育のような啓発のための体験型ウォーキングで用いられている。公や先進を意味するこの道が、検閲作品をたどって歩く人々に希望に導いてほしいと願う。

トレイルは単なる移動の跡ではなく、文化を伝える経路となり、人と場所と物語をつなぐ。 Robert Moor "On Trails"

2020年4月
表現の不自由展実行委員会
アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、永田浩三

台湾の表現の不自由展展(2020年)_f0230237_15354695.jpg


# by PXP14154 | 2021-07-10 15:37 | 活動紹介

表現の不自由展・東京展のコンセプト文2

表現の不自由展・東京展のコンセプト文2

2021年6月25日から7月4日に神楽坂セッションハウスで開催予定だったものの中止となった、表現の不自由展・東京展の展示コンセプト文です。
全体コンセプトを除き、ふたつの展示コーナーをそれぞれ公開します。次に「ART + 芸術と政治の狭間」です。展示プランも以下に記します。

【ART+ 芸術と政治の狭間】
「参加作家と作品」
赤瀬川原平《大日本零円札》、豊田直巳《叫びと囁き フクシマ:記録と記憶》、前山忠《反戦》、山下菊二《帆掛会議》、若林奮《緑の森の一角獣座(アーカイヴ資料展示)》


ART+ 芸術と政治の狭間

わたしたちは名指されて存在している者であり、何者かであるためには〈他者〉からの名指しに依存しなければならないという意味で、言語に被傷性をもっていることが明らかとなる。
……この意味で「中傷」は、まさに呼びかけという行為によってなされるものであり……
ジュディス・バトラー

性的同一性に対する呼びかけや定義における被傷性から、その限定を回避するセクシュアリティのあり方を提起するため、LGBTQ+(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・クィア・ほか多様性)の呼称に多様で多義的な意味を持たせる「+」が用いられています。本展示コーナーではそれを援用し、「ART+」と銘打ちました。

表現の不自由展は、女性やマイノリティに対する差別に関わる美術表現が多いですが、そうした存在も日本社会では被傷性を持ち、また日々傷つけられてもいます。美術表現という「文化制度」もまた、ときに対象を自らの文脈に強引に回収し、消費により暴力性を発揮することがあります。
一方で、美術表現は自らを定義する桎梏から逃れ、自由な「生」の輝きで人々を照らす存在になることがあります。表現の不自由展は、そうした多様で多義的な文化運動の要素を持っています。これを補助線にして、より広い視点から「定義」の絶えざる書き換えの歴史である美術史を俯瞰してみましょう。

ここでは視点を絞って、美術表現でありながらなんらかの裁判(社会)闘争に関わった作家でかつ検閲と関連するものを取りあげます。その大半は美術史の中でファインアートとして評価の定着した物故作家になりますが、その政治性にスポットを当てることは、表現の不自由展が展開してきた可能性を別の側面から照射するものでもあるでしょう。

赤瀬川原平は、千円札裁判において、国家制度と資本主義システムを嘲弄しました。
豊田直巳は、ドキュメンタリー映像/写真という芸術と政治の両義的なメディアで、福島の問題を追い続けています。
前山忠は、1960年代から1970年代にかけて新潟現代美術家集団GUNで、当時の日本でもっとも政治的な美術運動を展開しました。
山下菊二は狭山裁判闘争に関わったことでも知られますが、〈天皇制シリーズ〉のなかで日本の闇を追及しました。
若林奮は、東京都のゴミ処理場建設予定地に作品を設置することで、自然と人類の遠さの亀裂を可視化しました。

ご覧になった方に、ART+の持つ可能性の広がりを感じていただければ幸いです。

コンセプト アライ=ヒロユキ
表現の不自由展・東京展 実行委員会


表現の不自由展・東京展のコンセプト文2_f0230237_14273873.jpg


# by PXP14154 | 2021-07-10 14:29 | 活動紹介

表現の不自由展・東京展のコンセプト文1と展示プラン

表現の不自由展・東京展のコンセプト文1と展示プラン

2021年6月25日から7月4日に神楽坂セッションハウスで開催予定だったものの中止となった、表現の不自由展・東京展の展示コンセプト文です。
全体コンセプトを除き、ふたつの展示コーナーをそれぞれ公開します。まず、表現の不自由展・その後 東京EDITION」から。
展示プランも以下に記します。

【表現の不自由展・その後 東京EDITION】

※単純にあいトリ作家の再集結ではなく、当時の展示写真も各所に配置。全体にあいトリの「表現の不自由展・その後」のシミュラクル(ミメーシス)となるようにし、あの展示自体を批評検討する「テクスト」となることも構成意図としました。

[参加作家と作品]
安世鴻《重重ー中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち》、大浦信行《遠近を抱えて》、大橋藍《アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子》、岡本光博《r#297 表現の自由の机 3》、キム・ソギョン&キム・ウンソン《平和の少女像》、小泉明郎《空気 #17》、嶋田美子《焼かれるべき絵》、白川昌生《追悼碑へのドローイング》、趙延修《償わなければならないこと》、永幡幸司《福島サウンドスケープ》、藤江民《Tami Fujie 1986 work》マネキンフラッシュモブ《参考映像》、九条俳句作家《9条俳句》


表現の不自由展・その後 東京EDITION

2015年の「表現の不自由展」は、日本で深刻化しつつある検閲状況を憂う34人の実行委員の総意と7組の作家の作品の集合体でした。2019年の「表現の不自由展・その後」は、5人の実行委員(アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三)と津田大介芸術監督の合意と16組の作家の作品の集合体でした。
この「その後」は展示の強制中止という理不尽な干渉に遭い、後に展示再開を勝ち得たもののその展示は幾つか制限のあるものでした。
今回は、関東圏で展示を見たいという多くの方の希望に応えるとともに、「その後」の本来の姿をお見せしたいという意図から生まれたものです。展示構成にあたり、「その後」出品作家全員に出品依頼をし、展示スペースの制約などさまざまな点から辞退した方を除いた13組から構成されます。

「その後」をめぐる激しい議論の焦点には、ふたつの定義の問題がありました。ひとつは「中止が検閲か否か」です。私たちは、これが検閲に対する法と社会慣習の定義が日本と諸外国で異なることを明らかにしました。もうひとつは、「あれは芸術か否か」です。
美術史は、美術の定義の塗り替えの歴史と言っても過言ではありません。現代アートの出発点の作家として知られるデュシャンにこんな言葉があります。

誰もが芸術を定義しようとしてきた。あらゆる時代が芸術の定義をそれぞれ知っていた。ということは、あらゆる時代に適応する本質的な定義というものはないことになる。 マルセル・デュシャン

現代アートは冷戦崩壊以降、非西欧地域、非白人、女性、LGBTQ+、負の歴史(ポストコロニアル)の視点を取り入れた潮流が生まれました。これはモチーフの変化などではなく、日々の生活の基底にある「制度」を暴き、社会の変容を表現が意図するものです。デュシャンから始まった「制度」の転覆は、路上やネットの「正義」の主張と呼応し、既に新しいステージに至って久しいのです。
表現の不自由展は、天皇制、植民地主義(強制連行、日本軍「慰安婦」)、あるいは女性差別や福島の放射性物質汚染、ほか政治的主題を持つ検閲された美術作品を展示してきました。これは日本の美術の「定義」を塗り替えようとする行為でもあります。そこに多くの共感と反感が寄せられる「紊乱」さがあるとも言えます。
美術の定義を書き換えるこの「未完のプロジェクト」を、皆さまと共有したいと思います。

表現の不自由展・東京展 実行委員会

表現の不自由展・東京展のコンセプト文1と展示プラン_f0230237_14191155.jpg


# by PXP14154 | 2021-07-10 14:20

表現の不自由展実行委員会の実行委員辞任

【表現の不自由展・東京展の開催中止、表現の不自由展実行委員会の実行委員辞任について】

表現の不自由展・東京展に関し、展示中止と展示継続のアピールが過日ありました。
私は美術作家さんと美術作品を見通しのあまりない不毛な継続闘争で消耗させるわけにはいかないと「展覧会の抜本的中止」を提案しました。しかしこれは実行委員会で一顧だにされもしなかったので、主張を貫徹するため、実行委員を辞任致しました。
1〜2か月前までは、私は共同代表の立場にありました。セキュリティは専門外のためノータッチでしたが、厳しい監督をすべきだったと思います。私にも責任の一端があります。今回の失敗と混乱、それによる作家さんと展示施設ほか関係者の心労に対し深く反省するとともに、陳謝を表明致します。

私の展示中止の論拠は以下の通りです。

1)泥沼で見通しのあまりない展示継続闘争は、組織だけでなく、出品作家を無為に消耗させる
2)出品作家は右翼との戦いを前提に出品同意したのでなく、美術展覧会への参加が前提。美術作家と作品は、特定の市民運動のための、兵士でもなければ弾でもない。
3)無益不毛な展覧会継続闘争は、厳しい状況に置かれている美術界に大きな傷跡を残す。作家たちを萎縮させない社会的責任というものがある。

表現の不自由展実行委員会は、美術作家さんの心労にはあまり関心がないようで、私のみが未熟ながらフォローに努めています。すでに作家さんの幾人かは、東京展(のみ)出品取りやめるなど、実行委員会への批判(賛同の方もいると思います)があるのも事実です。
今回の事態に対する対応を見るに、失敗への論理的分析、批判総括は余り見られず、それを糊塗する正義のアピールの姿勢が目立つようです。日本社会特有の現象に思います。

表現の自由を守ることは大切です。
しかし展覧会開催は、拠点防衛という戦略前提を必要とするため、その実現のハードルは高いです。しかし市民運動の手法にこだわらず、柔軟で楽で自由で斬新な「抵抗姿勢の表現」はできるでしょう。これは現代アートの手法の領分です。ここに、取りあえずは活路があるようにも思います。
本事件を契機に、より良い展開と活動が拓かれることを期待します。

2021年6月12日

アライ=ヒロユキ 《美術・文化社会批評》


# by PXP14154 | 2021-07-10 14:00 | 活動紹介

週刊金曜日・神道特集

あまり類例のない原稿を書きました。

●『週刊金曜日』4/12号の特集「知られざる神道・神社」
・「全体主義化する神道」(アライ)
・「武田崇元・八幡書店社主に聞く 葦津珍彦が作り上げた核心は『国家管理なき国家神道』」(聞き手/アライ)
・「神道・神社のルーツは古代朝鮮半島なのか」(片岡伸行)
※表紙はアライ撮影の熊野

★『週刊金曜日』の特集「知られざる神道・神社」は、明治以降の国家神道、さらに戦後の神社界の右回転の実情を、内部のヘゲモニー争い、文化・芸術方面への侵食、本来の信仰のルーツの問題も含め、掘り下げます。
日本会議論に収斂されがちなこの問題系を、全体に視野を広げ、追及する希少な企画です。

武田さんは、神社本庁と国家神道批判を知られざる歴史をもとに説きます。戦前の徴兵忌避祈願の神社、戦後の折口信夫の人類教やリンカーン神社などの構想があったことも語られます。
いわばカウンターの立場からの、神道再生の提言と言えます。
一方、私の原稿は、国家神道の捏造された伝統と植民地での罪過、戦後の神社本庁がいかに戦前回帰を志向したか、明治神宮の文化戦略の危険性とは、公共思想への接近がはらむ問題、などを展開しました。
神道に対するアンチテーゼ的な自然信仰として、Paganismやドルイドも紹介しました(写真付)。



# by PXP14154 | 2019-04-16 20:12 | 寄稿