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『月刊社会民主』11月号に、「アートと公共性」第3回寄稿。若手作家の表現における、歴史や社会状況を「情報」として捉え、「選択」自由とする意識。これに対し、歴史状況に真摯に対峙する小泉明郎の作品。特攻隊を身体による後追いシミュレーション体験(演劇)で受け止め、見えてくる史実の深層。
「愉快な家展ー西村伊作の建築」の展評を、しんぶん赤旗10/21号に寄稿。自由教育の文化学院創立者、西村の原点を建築で追う試み。団らんという家族の民主主義。叔父を大逆事件で殺された衝撃。手作り・自己流建築は、産業社会の歯車化管理への抵抗。ユートピア思想家マンフォードとの親近性。 「東日本大震災後、アートはどう動いたか?」を『月刊美術』11月号に寄稿。文化財や美術館被害状況。チャリティ展や心の支援プロジェクト。Chim↑Pomの活躍やアトミックサイト展。アート支援組織に、単なる作家の自己表現ではない公共性のため、助成基準の明確化と透明性が必要と辛口の指摘。 メタボリズムの未来都市展の展評を、『週刊金曜日』10/14号に寄稿。皇国聖域から広島ピースセンターへと変異した、丹下健三のナショナルな統合装置。戦後の理念不在の消費拡大とシンクロする、無制限に増殖可能なメガストラクチャー都市設計。自治を核に据えた槇文彦と大谷幸夫の群造形等の試み。 「ローカルこそ強み、鹿児島弁でアフリカンポップス――ミュージシャン・サカキマンゴー」、『オルタナ』寄稿。これまで多くの日本人が苦戦したワールドミュージックの壁を軽々越えてしまった異才。世界の地域・少数文化発信のうねりとシンクロする同時性。 ラ・タルヴェーロの評を、『社会新報』10/5号に寄稿。南フランス・オクシタニア文化を伝えるオック語ポップス。地方抑圧の伝統のある国での、プロテストソング。あられもない艶歌が伝えるのは大衆の息吹。クセのある歌声と賑やかな音楽は、グローバリズムに抗う生の讃歌だ。 第2回「アートと公共性」〈中之条ビエンナーレの特異性〉(月刊社会民主)掲載。地域アートの、アートエリート+行政プログラムにのみ詳しい「市民プロ」が仕切る現状。美大研究室による植民地化の進行。地域性から業界事情と隔絶した可能性。トクヴィルの学びの直接民主主義と地域アートの接点。
高木こずえ「SUZU」展の展評を、週刊金曜日(9/23)に寄稿。新作ごとに作風を変える写真家の最新作は、故郷・諏訪の風景写真。ディテールをぼかし、色彩を強調した写真の組で構成される展示空間。おぼろな記憶の中で作家が記した、確かな生の手応えとは。 中之条ビエンナーレの評を、環境とCSRの『オルタナ』に寄稿。「若者が集い、雇用が生まれる美術展」東京の専門家が主導権を握らず、中央のスター作家の地方巡業がなく、アートファンや美大生がボランティアでない特異型。雇用創出とも連動の地元発信型。 中村とうようコレクション展の展評、週刊金曜日(9/16)に寄稿。大衆音楽と金銭価値に偏するポップスとの相克から読み解かれた、ボブ・ディランらの歩み。交通のダイナミズムから生まれる音楽という中村史観。その足跡を所蔵の民族楽器とLPでしのぶ形となった同展。追悼の意味合いも込めて。 『昭和40年男』(10月号、隔月刊)に「ヤマトとガンダムに育まれた俺たちの宇宙観。」4頁寄稿。ヤマトは、星間文明、宇宙艦隊戦と漢の宇宙大河(銀英伝等)の流れを創出。ガンダムは、無重力活動という宇宙の現場を活写、ヒッピー文化の影響やGUNDAM展の美術作家と富野監督の意識のズレも指摘。 沖縄の彫刻家・金城実の木彫《大逆事件と安重根》の考察を、『社会新報』(9/7)に寄稿。日本帝国国内の主義者弾圧と朝鮮支配へのレジスタンスを結びつけた、作家の歴史意識に注目。この視点は解放問題が目の前にある関西での作家の教職で培われたもの。紀州出身で、差別問題を追求した中上健次との関連性も指摘。 江成常夫写真展〜昭和史のかたち〜の展評、しんぶん赤旗(9/7)寄稿。戦時中の日本の罪とともに、米軍の罪と「功」、朝鮮人犠牲者の存在など、歴史への複眼的な考察。残留孤児と戦時被爆者に通底する視点。コジェーヴの「動物」論議やアニメ『閃光のナイトレイド』の満州話放映中止にも言及。 青木繁展の展評、週刊金曜日(8/26)に寄稿。代表作《海の幸》に見られる近代美術らしい群衆表現と一人そっぽを向く近代的自我。古事記を題材にした神話シリーズは、ナショナリズムでなく、近代的個人を通過した個的な耽美主義の精華。画壇の旧弊を糾弾する作家エッセイは、現代日本につながる課題。
名和晃平展の展評、週刊金曜日(8/19)に寄稿。環境との関係性で成り立つ自己や認識をかたちにする、最先端の彫刻表現。ビーズ=ピクセルで表層を覆われた動物像は、鮮烈に切り取られた現代のリアリティ。無機的なセル集合の背後の気(アウラ)、剥製という死骸の使用が示唆する時代性とは? 『週刊金曜日』(8/5号)、「原爆と原発 漫画 映画 現代アート 怒りの表現者たち」で、噂のChim↑Pom(チンポム)のインタビュー/構成を担当。他誌の取材頁より、社会を憂う好青年ぶりが出ているかと思います。このコーナーでは、他に中沢啓治、新藤兼人が登場。 『社会新報』(8/3)に、「エリートとは無縁の感性教育」と題して、サウンド・エデュケーションの概論と実例を寄稿。市民運動の先駆で、自然思想家のソローがなぜ音の感性を研ぎ澄ませたのか。国内の小学校での実践例紹介。そして創始者シェーファーの、すべての感性の肯定の意味。 『週刊金曜日』(7/29)に、「パウル・クレー」展の展評寄稿。一点透視図法ではなく、中心不在かつ密度が希薄な素描がレイヤーのように重なる絵画。その神髄が、技法分析の展示で明らかに。生命力にあふれた分散的な表現は、統合的な価値観へのアンチテーゼの一種。 『週刊金曜日』(7/22号)で、「美術評における検閲で侃侃諤諤」という特集コラムが組まれています。これは評論家が展評などを執筆する際、美術館や画廊から、図版確認などの名目で事前チェックを求められることの当否を問うたものです。
執筆は、樋口ヒロユキさん(必要)、中村富美子さん(拒否)、アライ=ヒロユキ(反対)という形で、旗幟を明らかにして論じています。他のお二方の意見は、それぞれ原文を参照していただくとして、私の原稿の簡単な論点を紹介します。 いわゆる表現の自由と批評の自律性を論じることより、こうした状況になった背景を考察することに主眼を置きました。 90年代初頭より情報誌などのメディアの発達により、美術評論家とは性質が異なるアートライターの台頭。アートの外部への啓蒙が、アートをめぐる言説の主流をなしました。そうした業界の趨勢から、批評の重要性と理解が希薄となりました。 評論の書き手にとっては、批評という商品が流通するには、作品=版権画像が不可欠であり、その入手のために強いことを言えない弱い立場に置かれています。さらに作品を、表現ではなく、コンテンツとして捉える風潮が社会一般に顕著です。こうした弊害を、私自身が書いたアニメ評論で被った例も交え、論じました。 また社会全般に言論や表現の自由が抑制されている例として、西武百貨店の「SHIBU Culture」展、ヴィレッジヴァンガードのエロス商品自粛なども紹介しました。 統計を見ればアニメ産業はいまや斜陽となっており、これはアートも同様です。こうした状況を打破するには、自由な環境作りが大切、というのが私の主張です。 より多くの方が今回の『週刊金曜日』の特集をお読みになり、この問題への議論が活発となればと願っています。
『週刊金曜日』(7/22号)で、特集「美術評における検閲で侃侃諤諤」に寄稿。展評への美術館の事前検閲に反対と執筆。90年代初等からの評論ではなくアートライターの台頭、作品=版権画像と自由な評論、西武百貨店「SHIBU Culture」展中止、アニメ業界の批評不在等、社会全般の視点も。
環境とCSRの情報サイト「オルタナ」に、「驚くべき学びの世界展」(ワタリウム美術館)展評を寄稿。こちらは、サウンド・エデュケーションに焦点を絞って紹介。目に見えない音に注意を払い、絵を描き、音具を作ることで、環境の豊かさに目ざめる。http://www.alterna.co.jp/6185 『しんぶん赤旗』(7/15)に、「驚くべき学びの世界展」(ワタリウム美術館)展評を寄稿。世界で最もすぐれている」と言われるイタリアのレッジョ・エミリア市の教育のうち、美術の取り組みを展示。創造性の育成だけでない自治(身体も含めたオートノミー)の姿勢は、日本の管理教育と対極に。 照屋勇賢・グオ イーチェン「OKINAWA / TAIWAN」(Maki Fine Arts)の展評を、6/10『しんぶん赤旗』に寄稿。照屋の日用品を組み替える手法は、リサイクルだけでなく、大国にはさまれながらも自己流を貫く、くにの英知。グオのカードゲームは、肌の色の違いの無効と降りられないマネーゲームの象徴。
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